WW2特集 T-34 - EUROPA(エウロパ)

WW2特集 T-34

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T-34は、第二次世界大戦から冷戦時代にかけてソビエト連邦を中心に使用された中戦車である。第二次大戦中、世界に最も大きな影響を与えた戦車の一つと評価されている。

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1939年に45mm砲M1934を装備したA-20(別名BT-20)、45mm砲 M1938または76.2mm砲 L-10を装備したA-32の2種類の試作車が完成した。試験の結果は両車とも良好で、スターリンの裁定でA-32がT-32として正式採用されることになった。しかし、冬戦争でもBTの装甲脆弱性が問題となり、A-32の最大25mmの装甲を45mmに、また備砲を76.2mm砲 L-11に強化することとなった。この改良試作車A-34の完成を待たずに、12月にはT-34として正式採用された。その後、本車は長距離走行試験等の厳しい試験を乗り越えた。実戦運用試験のためにフィンランド戦線に一輌が送られたが、冬戦争の終結によりモスクワに送り返されている。

このためT-34が実戦に投入されたのは、1941年7月のバルバロッサ作戦からで、初期の戦闘では乗員の未熟さや、無線設備の不備により連携しての戦闘ができなかったり、トランスミッションを故障させ放棄されたり、性能的に劣っているはずのドイツ軍の戦車や突撃砲[1]に撃破されたりもした。

特徴
T-34の特徴としては

  • 当時としては強力な砲の装備
  • 避弾経始により高い防御力を誇る傾斜装甲
  • 被弾したときに炎上しにくい(とされる)、燃費の上でも有利な高性能アルミ合金製ディーゼルエンジンの使用
  • 高速走行に適したクリスティー式サスペンションを用いた大型転輪
  • ソ連国内での戦闘に適していた、幅広で接地圧の低い履帯
  • 徹底的に簡略化(初期の型に比べ、後の型ほど簡略化が顕著)された結果としての生産性の高さ

であり、当初T-34の存在を認知していなかったドイツ軍は、この戦車と遭遇し大きな衝撃を受けた。T-34は生産性を高めるために次第に簡易化が進められ部品数も減らされている。一例として、途中のタイプから履帯のピン止めを省き、抜けかけたピンを車体後部のバルジで押し戻す構造を採用していることなどが上げられる。なお、構造が複雑な割に実用性が低いクリスティー戦車譲りの装輪・装軌両用機構は、A32試作戦車の時点で廃止されている。

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T-34-85(1945年5月のベルリン。パンツァーファウスト(携帯式対戦車用グレネードランチャー)対策の金網を取り付けているのがわかる)

生産とバリエーション
T-34はその生産工場の違いと改良により細部の異なる無数のバリエーションがある。主砲の口径によりT-34-76とT-34-85に大別され、さらに(主に西側の研究家により)主な生産年、製造工場名で細分される。

なお、T-34-76はソ連ではもともと単にT-34と呼称、85mm砲搭載型登場後、区別のためにT-34-76と呼称されるようになった。また、かつて西側ではT-34/76、T-34/85等と表記するのが普通だったが、ソ連崩壊以降入ってくるロシア発の資料ではT-34-76、T-34-85等となっている。

戦後
ソ連軍ではT-54が1950年に正式採用されるまで主力戦車であり続けた。 第二次世界大戦後も、朝鮮戦争やベトナム戦争、中東戦争、ハンガリー動乱、チェコ事件、ソマリア紛争、中越戦争などで使用され、冷戦終結後のユーゴスラビア内戦等の地域紛争でも使われていた。1974年のキプロス紛争では、ユーゴスラビアから供給された少数のT-34が、キプロス島に侵攻したトルコ軍と対峙した。また、レバノン内戦ではPLOやイスラム教左派民兵組織が主に運用し、さらには一部のキリスト教民兵組織がイスラエルから供給されたM50スーパーシャーマン等と共に使用していた。1990年代半ばにおいても、アフリカ諸国や中東、東欧の多くの国々、ベトナム、モンゴル、アフガニスタンなど20国以上で現役装備であることが確認されている(北朝鮮では予備役で、これに含まれない)。


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